腰椎破裂骨折2

過去の話

昨日に続いて、手術に向けて絶食。

この頃が空腹のピークだったかな。

もう過ぎてたかな。前日の夜くらいだったのかも。

術前の浣腸をするも、食べてないから液だけ出た感じ。良かった。

オムツで排便は嫌だもん。そこだけは私の最後のラインのような気がする。

急遽昼過ぎにオペが決まり、バタバタと用意。

1:30に到着後、麻酔のマスク。吸ってる間に記憶は無くなった。

目が冷めたら病室。

気持ち良かった筈なのに、覚醒するにつれて直ぐに吐き気が襲う。

気持ち悪い。苦しい。

全身麻酔は2度目で、前回は覚醒時に気持ち悪くなることはなかったが

手術の時間が長くなると、覚醒時の吐き気は強くなるらしい。

1度目は骨髄バンクを通じてのドナーとなり、

骨髄の採取のみだったので、1時間半程度の麻酔だった。

今回は6時間に及ぶ大手術。事の大きさが違った。

ベッドが硬い。辛かった。。。

この日が果てしなく続く地獄のようで、

のたうち回りながら夜を過ごすことになる。

それでもお腹が空いた。。。と思っていた記憶がある。

なぜか、「明日の朝は食べられるから頑張ろう」と勝手に思ってた。

牛乳とパンが食べたかった。。

オムツを男の看護士に変えられるのだけは嫌でそこは譲らなかった。

オペ翌日。

背中の痛みとは別に、腰回りの激痛が起こる。

息も出来ないくらいの激痛に、どんどん気分が落ちる。

自分の体が自分のものじゃない。

どう動かせばいいか、もうどうしていいかわからない。怖いと思った。

なのに、体を起こされる。触られる。本当に嫌だった。

死にたかった。

なのに、リハビリ開始?こんなにしんどいのに?

その気持ちは唯一の抵抗として、瞑想神経反射として現れてくれた。

良かった。

あまりの痛さとストレスに気を失いかけた私に、皆大慌て。

理学療法士2人から抱えられて、ベッドに戻された。

リハビリ計画では、オペの翌日から開始することになっているらしかったが

本人ができないと言っているのにそれは違うだろう。

「今日のリハは中止で」という会話をきいて「よっしゃ!」と思った。

意識は朦朧としながら、そこはしっかり聞いていた。

ざまあみろ。

そもそもそれぞれの体調を見て進めるのがリハビリでは?

ちょっと定義を見直したら?と寝ながら思っていた。

そのまま沈み混むように眠った。眠りたかった。

本当に疲れていた。

頑張る気持ちはある。でもこの体では出来ない。

もしかしてずっとこのまま??

それはそれで不安で怖かった。

落ち着く日が近いのか遠いのか、誰か教えて欲しかった。

楽しみにしていた朝食がなくて一気に萎えた後、

待望の昼食は、なんとカレーだった。

胃が空っぽの状態にカレーは無いだろう……

それでも他に食べるものも無く、無理に食べたせいで

(厳密には食べさせてもらって)

胃につかえて悪さをし、その後しばらく苦しむことになった。

2日半絶食で。カレーって。。。あかんやろ。

もうちょっと考えてほしかった。

でも後で、迷走神経反射も胃腸の不調も、生理前が原因だったと自分では分かった。  

その後、先生たちの対応は明らかに優しくなった。

先生、リハさんたち、生理が原因だったけど、驚かせてごめんね(^_-)

2018.5.28、29の日記より

退院後、「腰椎破裂骨折」で情報を検索したけれど、ほとんど無くて

今後どう回復していくのか、麻薬成分に近い痛み止めはいつ止めればいいのか、

復帰した人の話なんかを聞きたくても何もなくて、一人で不安しかなかった。

なので、もし不慮の事故で、腰椎破裂骨折になってしまった人がいたら

これを読んで少しでも役に立ってくれたらいいなと思う。

とにかく救急搬送から緊急オペ、集中治療室での3日間は地獄だった。

でも、人間って不思議。

生きるためには置かれた環境に適応しようとするものだと後で知る。

あの地獄のような環境の中でも、何かしら笑いに持っていこうとしている

ちょっとだけ冷静な自分もいたりして、

我ながら自分のことを褒めてやりたいと思った。

誰も守ってくれる人がいないと、強くなるよね。

いいんだか悪いんだか。とりあえずは、いいということにしておこう。

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