猫を飼っている人なら、当たり前に感じていることかもしれないけれど
猫は空気を読む。
いや他の動物も、もちろん空気は読むんだけど
昔犬を飼っていた経験から、思うに
猫には犬のような無邪気さがない。
それは、猫の方が防衛本能というか
野性的な危機意識(?)が強いからなのかなと思う。
「空気を読む」というのは、実のところ
猫が「自分に危害が及ばないようにする」ための力なのだろう。
猫を飼うのはこの子が初めてなので
一般的にはどうかわからないが
うちのニャンは、自分を守ることにおいては必死である。
だから、私の機嫌が悪い時や
仕事が忙しくて、構ってやれない時などは
あえて近寄ってはこない。
遠くからじっと様子をうかがっているようだ。
「ようだ」というのは、私も気付いてやれていなくて
ふと「あれ?そういえばどこに居るんだっけ?」
と視線を向けたその先に
こちらを見つめているニャンがいることが多いからだ。
目が合って声をかけると
「にゃ~!」と言って駆け寄ってくる。
その声は「ほんまにもう~!早く気付いてよ~!」
というふうに聞こえる。(注:彼は関西弁しか分からない)
ちゃんと自分のことを視界に入れてもらって、
普通に話しかけてもらって
飼い主の機嫌の悪さが、自分のせいではないと確認できてから
やっと安心して近くに来るのだ。なかなか賢いなーと日々感心する。
基本的に誰かに合わせることはなく
自分のために生きているのが、我が家のニャンである。
でも、そんな自由気ままなニャンが、一度だけ
私のために空気を読んだ時期がある。
私が階段からの転落事故で、腰椎を骨折し、ほぼ寝たきりになった時だ。
このブログの「過去の話」の中の「腰椎破裂骨折」にも書いているが
転落事故の原因は、早朝のニャンのトイレ掃除だった。
自分のしたウンチを片付けている飼い主が
突然、階段の最上段から転落していく様を見ていたニャン。
その後、両親とともに、あわただしく救急車で搬送されて行った私を見送り
ひとり残された彼は何を思っていたのだろう。
空が明るくなったころ、両親だけが帰宅し、
その後のニャンの世話は母がするようになり、
きっと彼は「飼い主は死んだ」と思ったのだと思う。
入院中、ニャンのことは気がかりだったが
正直それどころではなかった。
ご飯と、トイレの世話をしてくれる人がいるだけで有り難く
「あとはなんとか頑張ってくれ」と祈る毎日だった。
ただ年老いた両親は、朝は早いが夜は7時頃には寝てしまう。
夜行性のニャンにとっては、一人ぼっちの長い長い夜が続いていたことだろう。
加えて、両親はニャンに触ることができなかった。
実は二人とも昔から猫が嫌いで、
私が離婚して、息子と実家に戻ることになった時
「猫を連れて来ないのが条件」と言われたのだ。
誰かもらい手がないか、知り合いを探してはみたけれど
人懐っこくもない成猫を、もらってくれる人はいなかった。
今思えば、ニャンにも可哀想なことをしたと思う。
「最後まで飼う」という飼い主の覚悟が、一瞬揺らいでしまったのだから
きっと彼は一時期ビクビクしながら過ごしていたかもしれない。
話は逸れてしまったが、そんな事情で行き場のないニャンのために
私は両親に頭を下げて、
「絶対に迷惑をかけないから」
「ニャンは2階で飼うから」(両親の部屋は1階)
という2つの約束をして、なんとか一緒に越してくることができたのだった。
猫嫌いの両親のもとで、彼は私がいない2週間の間、
誰からも撫でられることなく、抱っこもされることなく
爪を切ってもらうこともなく
ただ食べて寝て過ごしていたのだ。
そして2週間が経ったある日の午後、私は退院して帰ってきた。
まだ壁伝いにヨロヨロとしか歩けない状態での退院だったので
古い実家の段差の多い家に帰るのは、正直不安だった。
しかも私の部屋は2階なので、トイレに行くにも
転落したあの急な階段を上り下りしなければならない。
「前途多難だな」と思いながら玄関に入ると
ちょうど階段を下りてきたニャンと出くわした。
その時の彼の表情はちょっと忘れられない。
ものすごく驚いた表情で、人の言葉だと
「えーーーーーーー!!!」って言ったんじゃないかなという感じ。
私がニャンの名前を呼ぶと、突然上をむいて
「にゃお~ にゃあお~ にゃあお~!!」と
初めて聞く雄たけび(?)のような声で鳴き続けた。
後にも先にもあんな風に鳴くニャンを見たことがない。
多分、死んだと思っていた飼い主が帰ってきて
お化けでも見たかような驚きの後、
「生きてたんだー!やったー!」という喜びに変わった気持ちを
あんな風に鳴くことで表したんじゃないかなと思っている。
腰の痛みを抱えながらも、ニャンの思いが伝わってきて
いじらしくて泣きそうになった。その一方で
「うちの子でも、こんな風に感情が揺さぶられることがあるんだー」
とちょっと冷静に見る自分もいた。
こうして感動の再会を遂げたのだが、私は簡単に荷物を片付ると
早々にベッドに横になった。
なにせ急性期の病院だったから、まだ骨もくっついていないのに
わずか2週間で出されてしまったのだ。
本当は2か月程度の療養が必要な体だったから、医師からは
「家で入院しているように生活してください。」と言われたものの
古い家は病院とは大違い。トイレやお風呂のことを考えると不安しかなかった。
そして、その夜のこと。
トイレに行きたくなった私は、痛む体を庇いながら体を起こし
階段へ向かった。
最上段から見下ろす階下は、本当に恐ろしかった。
「もう一度吸い込まれてしまうかも」そんな恐怖で立ち止まっていると
リンリン♪
ニャンの首輪の鈴の音がして、彼が先に階段を下り始めた。
その頃にはニャンのトイレは1階に移されていたので
「ああ、ニャンもトイレかな」と思い、私も階段を下りようとすると
ニャンは先に下りてしまわず、
私の3歩先あたりで止まって、こちらを振り返っている。
そして私がまた下りると、それに合わせてニャンもちょっと進んで、また振り返る。
「あ、先導してくれてるんだ」
こんなことをするのは、さっきの雄たけびと同じで、本当に初めてだった。
なんとか階下までたどり着き、トイレを済ませ出てくると
なんと、扉の前にちょこんと座ってニャンが待っているではないか。
「えー?待ってたん?」思わず声をかけると
「よしよし、無事に済んだか。さあ戻るぞ」
というような優しい表情で、また階段の方へ先導し、
3歩前を歩いては振り返って、私の姿を確認しながら階段を上った。
「…犬みたいやな」あまりの変化に笑ってしまった。
いつも自分のことしか考えてないニャンが
ニャンが初めて他人のために、空気を読んで動いた瞬間だった。
でも、一緒に付いてきてくれるニャンのおかげで
不安だった夜中のトイレも、すごく心強かったのを覚えている。
こうしてニャンとの絆が強まったと思った私だったが
ニャンの「付き添いトイレ」は3日で終わりを告げた。
まあそこも、彼らしいといえば彼らしい。
退院後3日間、私はおそらく、猫から見ても危なっかしかったのだろう。
ニャンはその後、昼間も夜中もぐっすりと眠るようになった。
3日間、慣れないことをして疲れたのだろう。
でも、眠るのは必ず私のすぐ傍。片時も離れることはなかった。
ニャンはニャンなりに、事故が自分のせいだと感じていて
償いをしようとしているんだろうなと思った。
事故の時のニャンのショックを想像すると、
「私、生きて帰ってきてやれて良かったな」とあらためて思う。
あのまま会えなくなっていたら…
彼は死ぬまで、罪の意識に苛まれることになっただろう。
…多分?いや、どうかな(笑)
あれから5年。
あれ以来、他人のために空気を読んで動くことのないニャンは
相変わらず、自分の安全を守るためだけに、日々空気を読んでいる。
コメント