過去のはなし
私は5年前に、実家の階段の最上段から転落して
第一腰椎破裂骨折という重傷を負ったことがある。
この歳で大怪我をするということは、本当に大変で。
以下は当時の日記より。
早朝3:50、階段から転落。
ニャンがウンチを知らせるために暴れてて、仕方なく起き、
ベッドサイドてひとつ伸びをしてから廊下へ。
階段の電気をつけた瞬間、
体がふわっと宙に浮き、「え?」
と思ったらすぐ逆さまに転げ落ちていた。
寝ぼけてたけど意識はあった。
仰向けに1回転しながら転げ落ちていく。
「私、落ちてるんや」
と思いながら、背中に痛みを感じながら、でも
それもすぐに階下の壁にぶち当たって終わりを告げる。
頭を打って止まった。途端に背中に激痛が走る。
体が2つ折りになって息が出来ない。
「痛い!痛い!」それしか叫べなかった。
お父さんお母さんの私を呼ぶ声は分かってるけど、返事など出来ない。
割と短い判断で救急車を呼んでくれたことには今でも感謝している。
「保険証持っていかないと」とっさに思い、
「保険証。。」「茶色のかばん!」と伝えるだけで時間がかかった。
トイレしてから行きたかったけど、あきらめた。
垂れ流してもなんでもいいと思った。
それくらいの状態だった。
間もなく救急車到着。
仰向けにされて担架へ。移動が痛い。
すぐにOKが出て総合医療センターへ。
助かった、ほんとに助かった。救命病棟へ運ばれたのだろう。
手際よく、指示が飛ぶ。
「CTのあとMRI」そう聞こえて、「MRI嫌だなーと思う。」先生は「しゃべれることしゃべって」と言ったので、落下までの状況を話した。
その時から、「この人、あの俳優に似てるなー。芸人にも似てるなー。」と思ってた。
人間て、あんな場面でも冷静な部分てあるんだなーと自分で不思議だった。
ちょっと白髪の先生も、なんか個性強かったし、
外科医ってこうなのか、と考えていた。
外科医カッコいいなとも。場面変わって、名前や日にち等、何度も繰り返される質問。答えるのが苦痛。
手足の力も測られる。分かってる。
麻痺を調べてるから、ちゃんと力入れないと。
でも、痛みと打撲のしんどさで力が入らない。
ほんとは力入れられるんだけどなーと思いながら、先生達が心配しているのがわかった。
でも、もしかしたら一瞬は脊椎の圧迫で、力入らなかったのかもね。
MRIが長く、しんどかったけど持ち前の忍耐力と、根性でじーっと耐えてるうちに、
少しずつ頭がクリアに、手足のちからも戻ってきた。
先生は「いつから力入るようになった?」と不思議でしょうがないという様子で、首を傾げていた。
既に8時を回っていたと思う。
お母さんが呼ばれて枕元に。
「良く頑張ったね」と言ってくれた。
親不孝だなとつくづく思った。情けない。
腰椎がぐしゃっと潰れていること、神経に触れているけど、幸いにも空間があることで、麻痺にはならないこと、手術のことは。。。
このとき話があったのかどうか覚えてない。
恐らく、もう少し後だったと思う。
とりあえず入院、という説明があった。
ずっとトイレがしたくて、どうしようかと考えていた。すぐに出るもんなのかと思い、ナースさんに言うと、尿器を当ててくれた。出ない。
寝たままなんて、したことないからまず出んわな。オムツをつけてもらったけど、気持ちはしたくてしたくて膀胱がパンパンだけど、出ない。
オムツでするって、実は、大変なことだと初めて知る。病棟の大きい子達のことを思った。そして、いよいよダムも決壊し、救命病棟で過ごし初めてオムツでおしっこ。出たことが有難かった。おむつを替えてもらうのも、何の恥じらいもなく出来たことは、自分でも驚きだった。
それしか方法がない状態、ということを良く理解出来ていたんだと思う。
そこから3日間は、おしっこのことばかり考えていた。さすがに便は出る前に、オムツが取れるだろうとは思ってたけどね。カーテンのある場所へ移ったのが夕方だったのかな。とにかく固まったまま寝たような気がする。。。
2018.5.27の日記より
ベッドが柔らかくて、痛みが、緩和され心地良かった。。
でも、明日手術かもしれないとのことで、朝まで食事がないことを知り、がっかりした。
当時は離婚して実家に戻り、一年が経とうとしている頃だった。
身体障害児のリハビリ病院での仕事に就いて、まだ一週間。
せっかく就職したのに、「人生、終わったな…」と
転落直後、床で動けないまま、悔し涙を流したことを覚えている。
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