自分であろうとすること

日記

最近、訓練中のこと。

自分を大事にすること。

巷ではそういった文句の本や情報がいっぱいあるんだけれど

そんなのは関係なく、ほんとに切実に自分をコントロールすることに必死な私。

もう長年、ずーっとそういうことをしてきてない人間が

この歳でそれをやろうとすると

ほんっとに時間もかかるし、難しいことが分かった。

できないのだ。

いつも周りのことを優先させて、他人軸で生きてきたから

自分で考えて、自分が気持ちいい方法を選ぶなんてこと

どうやったら正解なのか、

あ。ほらまた。

すぐに正解を探してしまう癖からなかなか脱することができない。

正解なんてないのに。誰に答え合わせしてもらうの?

そうやって自分で間違えて、訂正して、また間違えて自分を指摘して

なかなか身につかないことに愕然とする日々。

でも、こんなふうに人生の休暇をもらえることはそうそうないから

今やんないといつやるの?ってことで

毎日自分なりに必死でやっている。

そうすると、つくづく私って自分が無かったんだなー

からっぽやん、と情けなくなってくる。

怖いものなしで突っ走ってきたのはなんだったんだっけ?

それは多分、元夫への怒りとか、子どもを守らないとという責任感とか

職場の人間関係に対する抵抗とか、いろんな負の状況をパワーに変えて

闘っていただけなのだと思う。

「もう戦いは終わったよ?さあどうしたいの?」と言われて

路頭に迷っている状態といったら伝わるのかな。

なんせ、戦いが長くて、過酷だったから

なかなかそこから抜け出て、今の平穏な流れの中に乗っかっていけない自分がいる。

こうして文字にすると、「そういうことなのか」と自分でも納得するな。

幼少期、親に気を遣う子だったところから、この人生は始まっている。

基本的にはいい子をずーっとやってきて

それを利用する人間が多くて

色んなものを剝ぎ取って行かれて

それも当たり前すぎて、気にもしなくなっていたこの人生。

なんで気付いてしまったんだろうね?

気付いてしまったら、もうあの頃へは戻られへんやん。

嘘みたいに戻れない。我慢が効かなくなってる。

こんなに我慢ができない人間だったか?と我ながら驚く毎日。

でも…

本当は嬉しい。

こんな私になったこと、有難いと思っている。

今まで、自分勝手に生きてる人を羨ましいと思ってた。

なんで、あんなに感情を出せるんだろうと妬ましく思っていた。

でも、きっと彼らは自分勝手ではなく、普通に生きてただけなのかも。

私が自分にブロックをかけ過ぎて、頑張りすぎていただけなのかも。

みんな普通に生きてるだけなのかも。

じゃあ、私の生きてた世界はなんだったんだろう?

違う世界線を生きてたようにさえ思う。

明らかに、ついこの間までの自分と今の私は違う。

今の自分は、幼少期、小学校中学年くらいの頃の自分と同じような気がする。

この前までの私は、大人の私。社会生活をちゃんと営んできたおばさんの私。

でも、今は違うんだなー。これ、どうしたもんだろうか。

息子がいるおかげで、かろうじて人の形を留めてはいるけれど、

なんだか変体前のアメーバのような状態といえば、しっくりくるのかな。

この歳でこんな風に変体するなんて

なんかの論文にに書けるんじゃね?と思ってしまう。

あまりに取り留めのない話はまだまだ終わらないけれど

そしてきっとまだまだ変体は続くのだろうけれど

今日のところは一旦終わりにしよう。

これからどんな変体を遂げるかは、自分でもまだわからない。

けど、きっと過去よりは幸せなのだと思う。

乞うご期待。

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