8月末で退職をした。
久々に大変な職場だった。
今までの中でワースト3位に入るくらい
心身ともに
いや「こころ」が疲弊した職場だった。
これまでも、私は割と妙な職場に行くことが多く
だいたいは人間関係がしっちゃかめちゃかになっているパターンだ。
トップのモラハラがあったり、派閥があったり
常に誰かがいじめの標的になっているような
なんだか今の時代の学校みたいな
「大人がそれでいいの?」と言いたくなるような
そんな人が集まっている職場が多かった。
私はもともと自分の正義もポリシーもあって
はっきりと意見を言うタイプだが
仕事においては、そこは封印してきた。
今から15年ほど前、
一旦家庭に入った主婦が社会復帰するには
あくまでも謙虚に、低姿勢を貫くしかなかったのだ。
それに、いくら相手が理不尽なことをしていたとして
正論で闘おうとしても、人は絶対に変わらない。
だから、自分の、人としての尊厳が失われる危機感を感じた時には
諦めてそこを去ることにしている。
「こころ」が壊れても、誰も責任を取ってくれないから。
『退職を決めてから、最後に物申す』
ということのをやったこともあるけれど
正しい意見で責められると、相手はより防御の態勢を強めて
味方を連れて、逆に攻撃をしてくると分かった。
「自分たちが正しい。お前だけが間違っている」と。
退職したとしても、後味の悪いことになるのを身をもって知っているので
若い頃に二度ほどやっただけで、あとはしていない。
これまで、職場を変えることはあっても、ずっと同じ系統の仕事をしてきた。
退職して少しブランクができても、結局また同じような職種に戻るので
「大幅に休暇を取った」という感覚はないまま働いてきた。
16年。
長いような短いような。職業人としては短いのだろうが
プラス”専業主婦業10余年”があるので、まあこんなものかな。
でも、人生も終盤になっての今回の休暇は、自分でも想定外だった。
全く新しいことを始めるための小休止。
怖いし不安もあるのに、なぜかワクワクの方が勝っているのが不思議。
「人生終盤」と言ったけれど、折り返しと考えれば
この先まだ倍近くを生きなけれならない。
だとしたら、ここらでちょっと人生の見直しをする必要があるのかも。
”起こることには全て意味がある”と、日頃から考えている私は
このお休みを「人生の休暇」なのかなと思う。
ずっとずっと走り続けてきて、ずっとずっと誰かのために生きてきて
自分が擦り減って、もうほとんど残っていないことに気付いた。
もう、自分のために時間や気力を使ってもいいだろう。
もう、好きなことだけに集中していた幼い頃の自分を
呼び戻してやってもいいだろう。
あれこれ考える、大人な自分との折り合いには少し時間がかかるけれど
心地いいか悪いかで、これからは生き方を選択していこう。
短い短い休暇が、もうすぐ終わります。
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